飽きっぽい性格は得か損か。
私、目次伸行(めつぎ のぶゆき)は飽きっぽい性格だが、金になることは続けることができる、ゲンキンな性格である。
基本的には、短気と飽きっぽいというのは損と言われているが、短気というのは確かに損である。実に世の中くだらないことで怒る人物が多いのは事実で、ちょっとしたことで怒鳴りあほじゃないか?とおもう。
怒るくらいなら、そっとその場を去った方が賢明だと私は思っているし、事実その方が余計なかかわりが減る分得であるとすら思っているから、怒鳴り散らすよりもその場を去り冷静に考えた方が得である。
問題は飽きっぽいのは損か得か?といわれたら、意外にも損とは言えないかもしれないね。
何が得で何が損か。
一般的には損得勘定と言えば、お金だったり自分の都合で決めることだが、一番損してはいけないのは、生きていく上でのキーマンにおける信用や信頼である。
たとえば、私の場合は意外かもしれないが釈放後に縁を切った人物というのは、意外にも少し自分とは距離の遠かった人間である。しかし、私の生活を大きく変える人物たちではないから、そういう人相手の信頼や信用なんて言うのは、あってないようなものだから、気にしなくていい。
しかし、生きていく上で密接な人間に対して、信用や信頼を失うのはとんでもないディスアドバンテージであるから、それだけは心がけて生きた方がいいと思う。
例えば、会社の上司がうざいとかいうのは、大抵、ほかの部下もそう思っており、信用や信頼っていうのは0でこれは大問題である。大体そういう上司というのは暇で部下をいじめたりちょっとしたことで怒鳴ったりと短気である。温厚なふりして悪質なことを考えるのも実質は短気だ。何かが許せないからそういう行為になるわけで、短気以外何者でもない。
そしてそういうのは、明らかに損であるから、部下に対しては優しく接して、頼れる上司となった方が得である。つまり、短気は損といえるだろう。
反対の行為はどうだろうか?ご飯をおごったりするのも良いだろう。おごるという行為は金銭的に損かもしれないが、そう思っている時点であなたは人間関係よりもお金が大事と思っているということである。お金は大事だがその考えは恥ずかしいからやめた方がいいと私から忠告しておこう。
飽きっぽいのは損?
さて、本題にはいろう。飽きっぽいのはそんなのか?これは世間一般的に言われる損とは違う。単純に趣味がコロコロ変わる人っていうのは、上記のような信頼関係で損はしない人が多い。というのも、趣味が変わったからって、友人が離れるわけでもないからである。
ただし、飽きただってつまんないんだもん。よくそんなの続けられるね。 なんて言葉を吐けばそれは信頼関係の問題で大変損することになる。
それなら「自分には才能が無くて成果が出なかったから飽きてしまったよ、〇〇はすごいな…。うらやましいよ。」と言った方が少なくとも上記よりは悪い印象はないだろう。
ではどうして、飽きっぽいのは損というのか?はっきりいえば、金銭的な問題だろう。最近機材を買ったのに3日で飽きてしまった勿体ないなぁ。というところかなとおもっている。だから飽きっぽいのは損いうのだろうとね。
損というマイナスをどこに置くかが成功マインド。
結論から言えば、お金に損得勘定を持ってきている人は、考え直した方がいい。それをやっていいのは成功してお金がかなり回っている人間がやることである。
信頼や信用がプラスでお金がマイナスになったというのは、全然痛くもかゆくもないということを知るべきで、短気は損気というのはそういうところを見ているのだと思う。
そして飽きっぽいのは損というのは、多少は信頼も信用も関係あるかもしれないが、その方面においては言い方で変わるから対策もできるというわけである。
つまり、飽きっぽいっていうのは、金銭面では損しているけど、経験では得をしているし、信用信頼面ではそこまで悪影響はない。だから、飽きっぽいからと言ってがっかりする必要は何一つないのだ。
ただし、継続することがお金にかかわることに関しては、それなりに続けた方がいいかもしれないね。たとえば、ブログを書くとか、メディア発信系は絶対に飽きっぽいと成功しない。