幸せと思うのはたくさんある。
常識とか普通というのはとても便利なことがである。
例えば「普通はこう思わない?」「普通だったらそんなことにはならない」「常識の範疇」「社会人として常識」などなど、しばしば聞くフレーズであるが、あくまでも労働者の中での常識やら普通と測っている。
自分はプロフィールにも書いた通り、おまわりさんに連れていかれて、それこそ通常、乃至、普通に生きていればありえないであろう経験をした。
普通はJP法違反(製造)といえば、明らかに性的な意味で18歳未満を撮影し自分の性欲を満たすために撮影すると思うだが、事実、私はそうではなく、逮捕されたものの、現在は非常に厳しく起訴確実と言われる「製造」だったのだが、起訴されなかった。
普通なら起訴されるのだから、多分、普通ならこのブログを書いているころも拘置所にいる頃だろう。
起訴されなかった理由は、他でも書いたが「己の性欲を満たすためではない」「JPの画像がほかにはない(常習性がない)」というところだろう。
普通は、そんな罪で凶状持ちとなってしまえば、ロリコンというのが一般的に貼られるレッテルであることは間違いないし、それに関しては仕方がないと思うのだが、その考えも”普通”というところで、思考停止しているのだから、その人は本質や価値を見抜けないという風にも取れる。
常識的に考えて、写真は撮らないでしょ?と思うかもしれないが、逆にあんなシュールな画像でJPに該当するのか?と聞きたいくらいの画像であるから、恐ろしい。
毒を吐けば「私はこんなシュールで面白い写真を撮ってアウトでした。」と見せてあげたいとすら思っているくらいのシロモノである。
多分ニュースを見た人は「ロリコン野郎!くたばれ」くらいしか思わないだろうし、多分みたら「これはかわいそうだね」って同情してくれる人もいるかもしれないね。
まぁ過ぎたことだし、起訴されなかったらどうでもいいんですけどね。
私は今、幸せなのか?
長々と書いたが、結論から言えば、凶状持ちで世間からは白い目で見られるであろう状態であるにもかかわらず、時間も金も人現関係も充実していて、実に幸せである。
負け惜しみでも何でもなく、人生を本気で謳歌しているのだ。
確かに、本来なら書かなくてよいブログを書くことにすらなったし、社会人への切符というのは完全に失われたわけなのだが、それこそ、普通の人だったら困るだろう。
ここで、15日間の内にあったエピソードだが、自分が検察へ連れていかれたとき、大泣きしている人がいた。
本来なら会話はNGなのだが、なんと彼も同じ「JP法違反(製造)」ということらしいし、彼の場合は小学生と中学生を撮影してハメハメしたらしい。
すぐに牢屋から出されて連れていかれたので、拘置所送りになってしまった…。
通常は、JP製造というのは、本来であればほぼとんどが起訴されてしまい、たぶん略式起訴も難しいと弁護士は言っていたし、簡単には出てこれない犯罪である。
半年は判決待ちであろうし、こういう犯罪は再犯率が非常に高い為、保釈金があっても外に出れないかもしれないし、出れないのであれば、そのまま、拘置所で生活ということだろう。
多分そのあと民事裁判もあるだろうから、大変だろうね…。
おそらく、そういう方は居ないと思うが、JPの単純所持で家宅捜索が来た方が当サイトへ来たときのために言っておくけど、もし家宅捜索されたら即弁護士のところへ行き、30万円でも50万でもいいから着手金を払って早めに手を打った方がいいだろう、とアドバイスだけしておく。
元々自分みたいに収入減があるのであれば、問題ないのだが、自分も弁護士へ相談しに行ったときは、まさかそんな画像が自動バックアップされていてパソコンに入っていたとは思ってもいなかったので、御用となってしまった(笑)
実に間抜けな話なのだが、そういうときでも弁護士に相談したときに、弁護士から
「ひょっとしたらJPに該当する画像はありますか?」と質問されたときに、自信もって「いえいえ、自分はギャルで巨乳が好きですから、ありえませんよ。」と堂々と答えたら
弁護士も「それなら安心ですが、万が一あった場合も、単純所持の場合は逮捕まではされないと思いますので、心配されなくても結構だと思います。」ということでした。
まさかあったとは(笑)自分がびっくりですね。
ということで、私の性的なことをさらけ出している友人などなどは、私のことを知っているので、全く持って交友関係は崩れることもなく、「巨乳好きのお前がお前が小学生撮影ってなにやってんだ(笑)」「のぶ君どうしたんだ(笑)」「ニュース見た、女と知り合いたい、くわしく(笑)」という具合である。
幸せというのは、こういうことを言うのである。
常識にとらわれないこと。
さて、私の名前を調べて、私のことをさらけ出しまたが、それでも私は常識的に不幸な人間でしょうか?それとも、幸せでしょうか?はっきり言いましょう、あなたが私を不幸だと思えば不幸ですし、あなたが私を幸せ者だと思えば、幸せ者でしょう。
ですが、一般的に見たら、目次の周りは良い友達であふれているから、幸せであろうといえるだろうし、インターネットでは批判しがちになることは、火を見るよりも明らかであるから「ざまぁ」とか「批判や否定」しか言えない貧乏人ばかりだろう。
どう考えても私はそういう人よりかは、私は圧倒的に幸せである。
常識というのは恐ろしくて、なんでもひとくくりにしてしまい、価値を決めつけてしまうのだから、絶対に損をすると思う。
だからといって、全部が全部ぶっ飛んだ考えをしたほうが得という訳ではないから、勘違いしないでほしい。
幸せになる考え方はポジティブである。
これはよく言われることだが、基本的にポジティブの方が良い。
たとえば、一般的には私はもう社会復帰は難しいと自分でもわかっているのだが、言い換えると、一般的な労働者にはもう戻れないということである。
お金のキャッシュフローは4種類だけであり E S B I の4種類であるのだが、Eは難しいので除外することができた。
Sの自営業や社長になるという選択肢を選ばなくていけないということになる。
ちなみに、年収1000万円あったらいいなーと思うひとは、一つ覚えていてほしいのだが、年収1000万円以上稼いでいる層は労働者よりも個人事業主や社長なのだから、目指しているなら頭に入れておいて損はない。
つまり、強制的に金銭的に裕福になる手段にレールを載せられたわけであるから、金に困ることはないということであるから、反対にもっとお金持ちになるチャンスである。
しかし、普通や常識でいうと社会人になり社会の歯車になり、少ない金を得るというのが常識や普通であるから、そっちの方が不幸かもしれないね。