
優しさとな何だろうか。
私、目次伸行(めつぎ のぶゆき)は優しさを理解していない。
優しいとは何だろうか、ときどき思うことがある。
個人的には人が落ち目にあったとき、そばにいてくれる友人。というのが優しいという人で本当の友人だと思っている。しかし、自分が落ち目にあったときは、あっけなく縁を切られたこともあり、そのグループに属していた人間は誰一人あれから連絡がない笑
しかしながら、今でもあれこれ接してくれる方々もいる。
これから個人の仕事で接してくださる人もそうだ。ちゃんと話をした上で接してくれている。
僕はこのような人を優しい人と言っている。
そうでない人を薄情者だと言っている。
もちろん、縁を切る切らないというのは本人たちの自由だ。むしろ縁が切れてよかったとおもうことすらある。
これ以上は悪口になるので控えるが、それはあくまでも"自分に優しい"ということであって"優しい"というのは違うかもしれない。
人に優しいのか ミスに寛大なのか。
それぞれ、優しくできる箇所が違うのだろうけど、結局のところ"優しい"という正体が自分には未だに理解してない。
今はイイけど。
数年前の自分はどうだっただろうか。
地に落ちる前の自分と堕ちた後すぐの自分。そして今の自分だ。
落ちる前の立場はまぁフリーターやりながらアフィリエイトで月に数万、たまに10万円行くくらいの底辺の暮らしをしていた。
直前は、まぁ稼ぎ方がアレだったので、無駄遣いしまくりあれこれ買いまくりしたり、自分の開業資金でキープしたり人生のブーストを掛けていた。
そのとき、周りの人間は普通に接していた。
落ちたあとすぐの自分は、人間関係が大きく変わった。
名前だけの真友団には縁を切られたし、自分から縁を切ったモノもある。
そんな中、半年後のGW開けに開業した。
開業をして、から今もう4年が経つ。
それなりに仕事も周り、半FIREに近い生活を送っている。太ったけど…。今、自分や周りの人間はどうだろうか。ほとんど仲良くする方が、それなりに裕福な人だけなになってしまった。これは良いことなのか悪いことなのかわからないけどね。
相手も違うけど、何より自分も別人だ。
ひょっとしたら、財産と周囲の人間関係や今まで付き合ってきた友人の態度が変わると、それはもういままでの自分ではないということだ。
今は優しくしてくれる人も私が仕事を失って労働者となったらまた人間関係が変わるのだろうか。一緒に今仕事をしているみんなの態度はどう変るのだろうか。そして、自分はまたどういう別の人間になるのだろうか。
どうあっても"優しい目次伸行"でいたい。